2014年11月10日月曜日


『修身教会雑誌』

 十八日 晴れ。午後、哲学上の演説をなし、夜また談話会を開く。募金の件は、石沢、清水両人、大渓父子、ならびに近郷の有志者十一名、すなわち上野村星名佐藤治、仙田村増田弁治郎、同村押木良平、吉田村酒井幡一郎、上野村清水荘太、中野村高橋孝左衛門、吉田村酒井和三郎、上野村清水邦太郎、馬場村金沢新清、仙田村田中政治、馬場村太田培稼の諸氏なり。ともに中魚沼郡に属す。
 十九日 晴れ。朝、十日町を経て六箇〔を〕通り南魚沼郡六日町〈現在新潟県南魚沼郡六日町〉に至り、極楽寺において開会し、夜分、塩沢〈現在新潟県南魚沼郡塩沢町〉に至りて開会す。発起人は六日町にて極楽寺住職岡部法珠氏、塩沢にて村長井口芳蔵、校長立抦教俊、訓導大原敬吉三氏なり。当夜、塩沢に泊す。
 二十日 晴れ。朝、浦佐に至り善光寺を訪い、午十二時、北魚沼郡小出〈現在新潟県北魚沼郡小出町〉に着す。午後、正円寺(曹洞宗)において開会す。夜分また演説を開く。発起人は松木服膺、伊藤吉右衛門、井口泰五郎、高木権太郎、伊倉勝蔵、同長三、井口恒定、伊藤仁兵衛諸氏なり。当日、中島万行寺(住職松木琢宗氏)ならびに柳村関矢橘太郎氏の宅を訪い、和田村専明寺に至りて晩餐を喫す。当寺住職松木行賢氏、小出開会を周旋す。募金の件は小出発起諸氏、関矢橘太郎氏、酒井文吉氏、松木行賢氏に依頼す。
 二十一日 晴れ。朝、小出を発し、午、小千谷町〈現在新潟県小千谷市〉に着す。宿坊専正寺なり。当寺住職大滝霊瑞、西脇寛蔵、久保田清治諸氏の発起にて、午後、専正寺において開会し、西脇国三郎氏宅を訪い、船岡山に登り、帰りて即夜、小学校において開会す。即日、館内員小船井大竜氏に会す。
 二十二日(日曜)晴れ。朝、小千谷を発し、午、長岡〈現在新潟県長岡市〉に着す。宿坊妙宗寺なり。午後開会。藤島大謙氏、池田忠造氏等、このことを斡旋す。引き続きて長岡学校に至り教育上の談話をなす。旧友長尾平蔵氏の依頼に応ずるなり。当夕、三芳楼において椰野直氏、長尾、小坂部、石井諸氏の案内によりて晩餐を喫す。募金の件は清沢氏(不在)に依頼す。
 二十三日 晴れ。朝、妙宗寺より願浄寺に移る。午前、仏教哲学について一席の演説をなす。午後、撃石館において長岡町内の資産家、無慮百名相会す。発起者は野本恭八郎、太刀川藤十郎、覚張治平、星野太三郎、渡辺藤吉諸氏なり。商業と哲学との関係について一席の演説をなし、終わりて懇親会あり。夜に入りて、更に常盤楼において有志家十余名相会す。すなわち小林伝作、松田周平、野本松二郎、星野太三郎、太刀川藤十郎、小川清二郎、覚張治平、野本恭八郎、吉村文四郎、池田忠造、山口万吉、平石良次、目黒十郎、渡辺清松等の諸氏なり。以上の諸氏に、特に本館賛成の件を依頼す。当夜、願浄寺に泊す。


二十四日 雨。勧募の件を赤沼父子、すなわち赤沼智観、同善能二氏に依頼す。かつ当地において宮内村万休寺住職田中聞能および深沢村願誓寺住職菅原専精両氏に会し、同件を依頼す。午前、長岡を去りて南蒲原郡大面村〈現在新潟県南蒲原郡栄町〉長念寺に移り、婦人教会の依頼に応じて演説す。該会幹事は安藤孫平、金子正次、外山静一郎、篠塚智浄四氏にして、宿寺住職は山之内竜暁氏なり。募金の件は該会幹事ならびに月岡村土屋法潤氏に依頼す。
 二十五日 雨。朝、大面村より今町大河津を経て三島郡寺泊町〈現在新潟県三島郡寺泊町〉に移る。宿坊奥琳寺なり。午後開会す。発起者は中村玄融、佐伯大弘二氏なり。
 二十六日 晴れ。午前開会。募金の件は発起者両名、各宗寺院に依頼す。寺院は長善寺、円福寺、興琳寺(住職中村玄融、副住職同玄同)、照明寺(住職佐伯大弘)、生福寺、法福寺、明聖寺、聖徳寺、養泉寺なり。また、西蒲原郡渡部村吉田寺川上恵鱗氏および同郡五ヶ浜村明楽寺結城善竜氏に同件を依頼す。午後、地蔵堂に至り三島郡野中才村〈現在新潟県西蒲原郡分水町〉専念寺において開会す。発起者は専念寺住職藤田了存、副住職藤田友禅、その他地蔵堂町有志諸氏なり。募金の件は右発起人ならびに三島郡金ヶ崎村願念寺住職鈴木峰暎氏に依頼す。演説後、懇親会あり。散会後、金ヶ崎村願念寺に至りて一泊す。
 二十七日 晴れ。朝、与板町を経て帰村す。午後、近村の有志者十余名とともに会食し、募金の件を依頼す。その姓名は高橋三郎、水島惟孟、山本仁七郎、西脇皆三郎、藤井一、内山勘兵衛、半藤作右衛門、関弥一郎、金安仁輔、新保勇、若井三平、細川祐次郎諸氏、ほかに菅原専精氏なり。
 二十八日 雨。朝、飯塚村明鏡寺を訪い井上宗桓、同宗輪氏に面会し賛成勧誘を請い、塚野山村長谷川市郎右衛門氏を訪い同件を依頼し、午後二時、刈羽郡新町村〈現在新潟県刈羽郡小国町〉珍相寺に着し演説会を開く。発起者山口権三郎、牧野竜蔵、山岸喜三右衛門、品川清逸、田中貞治、青柳喜代太の諸氏なり。募金の件は以上の諸氏ならびに珍相寺住職松木智栄氏に依頼す。
 二十九日(日曜) 晴れ。朝、野本恭八郎〔氏〕とともに金沢村山口権三郎氏の宅を訪い賛成の件を請い、山横沢村を経て加納村〈現在新潟県柏崎市〉光賢寺に着す。午後、演説会あり。続きて両度の懇親会あり。発起者は植木専吉、藍沢七郎平、加藤三郎、笠原金作、西沢賢作の五氏なり。募金の件は以上の諸氏ならびに光賢寺住職藤井覚運、北条村重延、佐藤雄(村長)、南条村藍沢敬一(村長)、善根村中沢常治、加納村本間孫市(村長)、山室村平野清一(村長)の諸氏に依頼す。
 三十日 晴れ。朝、加納を発して与板村を過ぎ、植木専吉および坂田一弥氏の宅に少憩し、野田村〈現在新潟県柏崎市〉に移る。宿坊願竜寺なり。午後演説、続きて懇親会あり。発起人は野田村須田源二(村長)、植木須吉、田沢村田辺久左衛門(村長)、村山市十郎、山田俊十郎、上条村会田豊蔵、霜田耕吉、別俣村宮川仲平(村長)、小林倭士の諸氏なり。募金の件は願竜寺住職田村智雄氏および以上の発起諸氏に依頼す。当日、医学士布施氏に面会す。
 三十一日 晴れ。朝、新道村を過ぎ、飯塚弥一郎氏の宅を訪い賛成を請い、柏崎町〈現在新潟県柏崎市〉に移る。宿所坂田恭順氏の宅なり。午後、高等小学において教育上の演説をなし、続きて懇親会に出席す。当日、郡長安田正秀氏および田尻村山田助右衛門氏に面会す。当夜、浄光寺において各宗協同の真教会の依頼に応じて仏教の演説をなす。会長は大藤巌舟氏なり。当地開会は大藤氏の尽力による。同行五十嵐氏、午後、高田町に向かいて出発す。
 六月一日 雨。朝、坂田氏の宅を発し、同氏ならびに入沢市郎氏とともに中浜村勝願寺(大藤氏の寺)に至り募金の件を協議し、勧誘の方は柏崎町香積寺、常福寺(以上曹洞宗)、永法寺、遍照寺(以上真言宗)、極楽寺、西光寺(以上浄土宗)、妙行寺(日蓮宗)、光円寺(真宗)ならびに中浜村勝願寺に依頼し、会計の方は柏崎下町今井茂作、朝倉文助両氏に依頼することに決す。これより直江津を経て長野町に至りて泊す。高田停事場にて森銕五郎、古川証励、新田倹譲三氏に面会す。
 同二日。汽車にて帰京。



[出典]

http://www.ircp.jp/enryo_senshu/text/INOUE12/12-01_kanshujunkainikki.txt






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