2014年12月16日火曜日



「『新撰陸奥国誌』によると、大同年間(806~810年)、坂上田村麻呂が蝦夷の頭領・高丸を射殺した際、その矢を修験僧・明円に与え、正八幡宮を祀って『矢沢山勝軍寺』を建立したという伝説、『弘藩明治一統誌』では、それを延暦三(784年)のこととし、沼洲村(藤崎村)の近くの赤沼に高丸の遺骸を埋め、矢は正八幡宮のご神体として崇敬したというもの。」(「ふるさとの史跡散歩」)

[出典]
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