2015年5月18日月曜日

信州諏訪大社


長子をルベン。イスラエルを逃れたルベン族はコーカサス「高」を越え山(主)として石川に漂着。岐阜県飛騨高山へ。白山菊理媛に見る象徴を菊花こと太陽。ゆえに日本の国旗は太陽を表し、ミ印を菊とする。飛騨高山の首長を山本氏。大嘗祭には高山の山本家が一位の木の笏を天皇に授けた。飛騨より北上したルベン族はユダ族、ベニヤミン族と合流して日本最初の国、大倭日高見国へ融合。古の日本語で太陽をチダという。水乞山に本家千田氏イスラエルの日本における首長。安倍氏奥州藤原氏等諸侯を輩出する。岩手を南部という。源氏では天皇を皇命(スメラミコト)という。大倭とはオオユダすなわち大いなるイスラエル。奥州源氏であり陸奥(みちのく)を言う。陸奥は首都を岩手県北上市水乞山とする東北地方。早池峰山より水乞山。国見山、江刺、丹沢、平泉へと変遷する。1.200年前には38年戦争が行われ、北イスラエル王国の後裔平家の祖桓武天皇に南ユダ王国の後裔日高見天皇アテルイがやられる。その後平家の支配が続いたが、源義経が壇ノ浦合戦で平家を降伏させ、日本の始めの総頭首、判官となる。分かりやすく言えば諸大名の頂点に立った。亦、平家総大将平時忠の娘蕨姫を妻にもらい、源平の合戦は終息する。しかし、奥州討伐に朝廷が動き1189年に源頼朝の侵攻奥州合戦で奥州国は滅ぶ。義経の一族は以降、歴史の表舞台から消える。そして時代は応仁の乱に火蓋を切り、戦国時代に突入。源氏を武田として平家長尾(上杉)と戦い、源氏徳川家康の治世によって葵(賀茂)のもとに日本における骨肉のイスラエル戦争は鎮火。天草の乱で完全に終結する。オランダとの強い絆によって、徳川時代は長く続いた。徳川家康は妙見北極星摩多羅神、秦河勝を山王として上座に祀っている。



(中略)


秦氏は珍しいものではない。飛鳥時代にはじめて来朝したというのは誤りの認識。紀元前2世紀にはすでに日本で秦のネットワークが存在した。卑弥呼(日弥呼)が九州からすんなり山都入りできたのはこのため。秦は日本全国に分布している。白(シロ、シラ、ハク)という。秦の新羅は、日本で更木、白木、新城と表記する。ホシオリの地三輪山平等寺の多聞の方向乾(イヌイ)北に巻向穴師は兵主八千鉾を大己貴(オオナムチ)これはソロモン王を表す秦の権威のこと、丹後や三輪にはじまる酒作り。大酒とはダビデ王のこと。八坂(イヤサカ)の拝所を磐境(イワサカ)これが本義、八坂神社の神体もそう呼ばれるのですが、地殻変動のこと。この天体地上大地は、大宇宙と鼓動をひとつにしていて、かるがゆえ古代人(日本先祖)は、天体の観測研究を怠らなかった。天香香背男、そして卑弥呼に至るまでも。現代の磐境は吉野に素粒子研究所としてあります。ユダヤ民族が中東において経験した恐怖を忘れない祭祀で精霊的な磐座信仰と異なり学術的な信仰。スサノオ祇園祭りはシオン祭り。渡来人の祭典。烏(ヘブライの兄弟)を従えて大陸より帰還した大王スサノオ。[強くて怖ろしい"エブス(日本における南ユダ中臣、ウブス・蝦夷として畏れられる)"の土地「後にソロモン第一神殿の丘」シオン「イスラエルへの回帰」を独読みではZion、英読みではZion、ヘブライ読みではTziyyon。]の海部の祖を天日矛と言い、彦火明。その子孫を八幡といい応神天皇は誉田(HONDA)。本田善光は推古天皇八年(600)豊浦寺の本尊を難波の堀江より信州へ移転する。信州諏訪大社はモリヤの地、鹿の首を祀る。イル信仰の三輪とバアル信仰の出雲の戦における日本においての第一次終結契の地。


出典
http://sky.geocities.jp/jkenterprise777/profile.html



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