2016年3月15日火曜日

川中島の戦いと北信濃 武士・民衆もうひとつの真実


史料が少ないことが、かえって想像力を刺激し、数々の戦記物が誕生した。

フィクションがあたかも史実のように語られ、地域の観光にも利用されているので、本当はどうだったか、だれも考えなくなる。

そこを学芸員さんたちが頑張って少ない史料を追って、川中島の戦いの歴史に迫った本を手に取った。

戦いは八幡原だけで行われていたわけではなく、北信濃全体が戦場で、農村や山の中にも兵が展開していた。

たぶん当時と変わっていない山なみを眺めていると、農村の人たちはどうしていたのか、田畑はどれだけ荒らされたのか、想像したくなる。

武将ばかりがヒーローのようにもてはやされるけれど、本はそのヒーローが、収穫期を狙って戦を始めたり、戦場では女子どもの誘拐、人買いまで横行してたことを史料から読み取って教えてくれている。

武力で支配はしたものの、人心までは掌握できず、宗教を利用しようと武田と上杉が善光寺を奪い合った話は興味深い。結局現存するご本尊が本物かどうかの疑義が生じる原因を作った。

また織田が、一揆をおさめるため北信濃で子どもまで含めて1000人余りを殺害している。執筆者も書いているが、現代に当てはめれば、ジェノサイドというほかない。でも私たちは英雄扱いしている。

武田も上杉も天下を取らなかったので歴史の教科書の扱いは多くない。地元の学校でも、八幡原や海津城に遠足には行ったが、詳しく学んだわけではない。もちろん授業で扱うには信頼できる史料が少なかったこともあると思う。

現代に置き換えれば、一般市民を巻き込み、大量虐殺も行われた凄惨な内戦が戦国時代だ。

ただわかっていることから、記録されていない事実を想像したい。

その時代、北信濃の農村に生まれた一人の子どもがどんな人生をたどったのか、とか。

http://s.webry.info/sp/uchidabunko.at.webry.info/201602/article_1.html

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