2015年1月12日月曜日


県庁文書には、しばしば江戸時代の諸相を窺い知ることができる資料が残されている。「分限帳」(明治・大正期の福島県庁文書3910)と題された本書は、163丁からなる大判型竪帳で、会計課管理を指す、「會」と「福島縣」の記入、「永久保存」「記入済」押印がなされ、外題の右上には鉛筆で「会津藩」と書き加えられている。中を開くと再度「分限帳」と表題が記されており、本来の「分限帳」に新たな表紙を加えて補修された状態となっている。これにより、資料目録の作成年代は補修されたと考えられる明治37年(1904)で収録されている。
分限帳(見開き部分、若年寄・奉行の項目) 
 「分限帳」とは、大名の家臣の氏名・役職・禄高などを公的に記録したものであり、本書では、会津藩家老の武川源介以下約1250名(氏名ありのみ)の役職・知行高が列記されている。分限帳本来の作成者に関する記述は無いが、記述内容の詳細さや、浄書された字体、料紙から、原本に近いものとみられる。
 収載者の範囲については、「近習(きんじゅ)・外様(とざま)」(文官・武官)の内、「通目見江(とおりめみえ)之者」(大勢列座の場に藩主が通る形での謁見が許される班席)以下までもが含まれ、「奉行」・「代官」や、「絵師」・「京都用達(ようたし)」・「大工棟梁」などがみられる。そのほか、「足軽」・「町検断名主」などの総禄高や、地方(じかた)・蔵米(くらまい)取り(知行地・俸禄米が与えられた)寺社についても記載している。
 本書の来歴は、県庁文書の「文書目録」から、明治9年の若松・磐前(いわさき)・福島県合併時に若松県から引き継がれ、第3文庫で保管されていたことが確認できるが、これ以前については、今後の重要な課題である。また、分限帳の該当年については、老中・若年寄の記載内容から、宝暦2年(1752)前後と比定される。同時期の会津藩の分限帳は、あまり残されておらず、本書からは、江戸時代中期の会津藩の家臣団構成が詳細に明らかとなる。

[出典]
http://www.history-archives.fks.ed.jp/con7/shiryo-37.html

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